丑三つティータイム

写真、酒、食べ物、ゲーム、日常

あはれエモい

なおていです。

昨日と今日は在宅勤務でした。在宅勤務は体に優しくていいですね。

進捗はゴミカスになりますが。在宅で進捗を生み出せる人間は心から尊敬します。

でも一番しんどい水木を乗り切れたのはでかい。週末まで駆け抜けよう。

 

万能ナイフと研がれた包丁

先日、こんな記事を読みました。

 

www.kansou-blog.jp

 

言葉は荒いですが言い回しが秀逸でクスリと笑えます。オチまでふざけ倒していますが、それでもこの記事は僕がなんとなく思っていたことを言語化してくれている気がしました。

 

せっかくなので、"エモい"という言葉に対しての自分の考えを添えて書きたいと思います。

僕自身、"エモい"という言葉は嫌いじゃないですし、割とよく使います。

ただ、アウトプットという観点で見た時、エモいという言葉は便利すぎるように感じるんですよね。言わば十徳ナイフのようなもので、それさえあれば物を切るのもワインの栓を抜くのも全部そこそこにこなせてしまいます。

 

引用したブログにはこんな感じで書かれています。

「わたしは上手く言葉にできませんがニュアンスを感じ取ってください」みたいなのマジでハラワタ煮えくり返るわ。お前らの脳味噌カニ味噌入ってんのか糞が。

文読んで「このブログエモい…」メシ食っては「このブロッコリー超エモい…」映画観ては「ラストシーンの石原良純エモすぎ…」漫画読んでは「最近『うちゅう人田中太郎』読み返したけどマジエモい…」犬見ては「あの白い犬エモっ…」マジで全員なに言ってんだよ。

じゃあ逆になにが「エモくない」んだよ。そっちのほうが興味あるからそっち教えろ。

万能であるが故に、全ての感情が"エモい"という言葉で何となく表現できてしまう。

 

ただ、"万能"≠"最適"なんですよね。当然、物を切るのは良く研がれた包丁には敵わないし、栓を抜くのはワインオープナーほど楽ではありません。

「この曲エモい…」よりも「この曲のこの部分がこう素晴らしい」という表現の方がどう考えても受け手に情報が伝わるはずです。

 

そして僕が1番恐れているのは、十徳で60点の表現だけし続けていると、包丁やワインオープナーのような表現が錆び付いてしまうことです。60点で満足した瞬間に、自分の中で60点が100点になってしまって戻れなくなる、そんな気がします。

 

ただ、日常の会話で適切な表現を探している時間なんてなかなか無いので、せめて文章を書く時には少し時間をかけてでも100点の表現を追求していきたい。

もちろん人に何かを伝えたいという気持ちが前提ですが、客観的に見た100点じゃなくて、自分の中でしっくりくる100点を目指したいです。

 

口では"エモ〜い!"と言いつつ、頭のなかではナイフを研いでいる、そんな人間でありたいですね。