いつもの場所、新しい生活
なおていです。
今週ジンギスカン2回食べた。
北海道に移ってきてから1ヶ月弱が経ちました。ばたついた引越しもようやく終わり、新しい日常が始まりつつあります。
まず、仕事面での変化について。東京でバリバリ働いていたのに比べると、だいぶ余裕のある働き方ができています。人権を取り戻した。ただ、この職種特有のイベントとして北海道の端まで車で移動することがあるので、これからちょっと忙しくなるかもって感じですね。
生活について。知ってる方はご存知かと思いますが、同居人ができたので生活リズムが変わりました。やっぱり家に帰って人がいる生活はいいですね。ただちょっと友達と遊ぶのが難しくなっているので、ここからどうバランスを取ろうか考えております。
やっぱりこの時期の北海道は最高ですね。湿気もないし飯も美味いし。ずっとこの気候ならいいのにって心から思います。(冬のしんどさを思い浮かべながら)
というわけで軽い近況報告でした。本州住みの人、夏の北海道に遊びにおいでよ。
さよならさんかく またきてしかく
なおていです。
新幹線や飛行機に乗るときはついビールを買ってしまいます。車窓からの景色が何よりの肴。
帰国後1週間転勤休暇をもらい、引越しの準備や送別会やらで割と慌ただしくしてました。
金曜日に荷物を送り、土日で東京をフラフラ見て歩き、今北海道に向かう飛行機に乗っています。毎月のように乗っていた羽田-新千歳の飛行機もこれでしばらくお別れかと思うと、少し寂しく感じます。
今まで散々東京について書いてきたけど、今回で多分最後なので、思いの丈を書こうかと思います。
約1年前、初めて北海道から出て東京暮らしを始めた頃、目の前の景色は全て煌めいて見えました。それはちょうど、着陸直前に飛行機から見える夜景のようでした。
でも暮らしてみて、長く暮らした場所との環境の違いや、学生から社会人への生活の変化など大変なことがたくさんありました。
東京という止まることの出来ない生き物のような街、細胞のように働き続ける人々、血液のように動き続ける電車。そして自分もその中の一部だということを突きつけられるような日々。いろいろとしんどいことが重なり、枕を涙で濡らす日もあったりなかったり。
その分、繰り返す日常の中の非日常はより輝いて見えました。渋谷や新宿にふらっと買い物に行くより、名前も知らない街で降りて散策するのが楽しかったし、どんなイルミネーションより夜通し車を走らせて見た朝日が綺麗だった。どれだけ行っても新鮮な場所が尽きないという点では、関東はこれ以上ない場所でした。
合う人には合う場所なんだと思います。ただ、情報に過敏すぎるきらいがある僕にとっては、溢れる人と溢れる情報は、少しずつ僕の心を擦り減らす紙やすりのように感じられました。
離陸する時も東京の夜景は綺麗に輝いていました。その輝きの下には人々の生活があり、喜び、悲しみ、苦しみが渦巻いているということを1年前の自分は知りませんでしたが、今ならわかります。
僕が心に留めている言葉の中に、こんなものがあります。
誰もがそれぞれの地獄を背負っている。
調べたらウェルギリウスという昔の詩人の言葉のようです。
地元の田舎でも、輝く東京でも、そして自ら望んで帰った北海道にも地獄はあるんでしょう。だから僕は、これからも同じように、日常の中の輝く非日常を探したいと思います。そしてこれからは、東京に“旅をする”というのも含まれるはずです。
言葉はさんかく、こころは四角。これだけ書いても思っていることを全て表現できたわけではないけど、きっとそういうものなんでしょうね。まあるい涙はもう出なくなりました。
これからも新しい場所でなんとか生きていきたいと思います。離れた人も近くなった人も、自分が大切に思う人とはずっと仲良くしたい次第です。
アメリカン・キロク
なおていです。
成田エクスプレスに乗っています。成田から大船まで直通なのすごい。高いのが玉に瑕。
出張でアメリカに行ってきました。
ニューヨークやロサンゼルスのような大都市ではなく、片田舎ですが。一応風光明媚な避暑地として栄えているような場所でした。
研修という形で、2週間の間8:30-16:30で座学の授業と少しの実験をしてきました。めっちゃ大学時代を思い出した。
コンプラ的に研修所内の写真はNGなので、授業終わりや土日に行った場所の写真を少し上げながら思い出をつらつらと書こうと思います。
まず前提として、アメリカの田舎では車がないと本当に人権がありません。最寄りのスーパーまで徒歩30分かつ、高速道路を生身で横断しなければならず、そこ以外に食料が手に入るのはホテルの売店くらいです。到着したその日にそれを知り、断食生活が頭をよぎりましたね。
幸運にもクラスメートがレンタカーを借りており、彼が内気な日本人を毎日誘ってくれたので生きていけました。まじで感謝です。
研修所のランチカフェのハンバーガー。これとサラダを1日おきに食べてた。アメリカン。
ハーフサイズのフィッシュ&チップス。ハーフとは?
軍艦。中も見学できる。凄すぎて「すごい…」って100回くらい言ってた。
この4段金網それぞれにマットレスを敷いて寝るらしい。劣悪すぎる。
ビリヤードとダーツバー。大学時代に少しかじった技術で挑むも、クラスメートが上手すぎて惨敗。こっちだと一般教養なのかな。
ウイスキー。ショットで頼むとこの量が来る。ビールを中ジョッキで3杯飲んだ後、ダーツ敗北後の乾杯でこれと同量のテキーラを二杯飲み無事死亡。大学生の時より飲んでない??
クラスメートに連れられていった日本食鉄板レストラン。中国人らしき男性が鉄板で米を炒めながら「This is Japanese style!」て言ってて少しおもろかった。
ご飯は小さじと大さじ間違えたんかってくらいの塩辛さでしたが、久々の醤油味が身にしみた。
最後の晩餐のTボーンステーキ。「ハンバーガーもポテトも食べたし最後はステーキでしょ!」って頼んだらめちゃめちゃデカかった。後で計算したら22 oz = 640 gだった。
ちなみに帰りの空港で財布無くして半ベソかきました。Apple Tagのおかげで発見できた。まじでありがとうApple。
以下、自分が思ったこと。
・物価がばり高い(円安の影響もあり)。ハンバーガーとコーラで8ドル=1000円オーバーは普通、夕食は少し良いところに行くと30~40ドル+チップで20%なので50ドル前後。6000円とか持ってかれる。カードの明細見るのが怖すぎます。
・マスクしてる人がめちゃめちゃ少なかったです。付けてるこちらが異常なんじゃないかと不安になるくらい。研修所内もワクチンを打っていればマスク無しでOKだったので、自分も外していましたが、不安で2日に一回抗原検査してました。無事帰れてよかった。
・英語に関しては、書いてたら長くなったので別記事にまとめます。英語全然できなかったなあって話です。
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今年は後1~2回くらい海外に行くチャンスがありそう。次も勉強がんばりつつ楽しめたらいいな。
英語できなかったなぁって話
なおていです。
英語ができなかったなぁって話です。
アメリカ人のネイティブ全力英語聞き取れなさすぎる。自分は少し英語できると思っていた自信が吹き飛ばされましたね。授業内容はかろうじて断片的に理解できるものの、アメリカンジョークはさっぱりわからなかった。周りみんな笑ってるのに自分だけ置いてかれるのしんどかったなあ。
スピーキングに関しては、「あ、自分こんなに英語話せないんだ」という絶望と、「あ、英語話せなくてもパッションで友達できるし飛行機乗れるんだ」という希望をどちらも味わいました。
絶望から。本当に咄嗟に出てくる語彙と文法が少なくて自分が嫌になりました。疑問形すらまともに話せてなかった。本当はもっと伝えたいことが頭にあるのに、それを表す単語がポツポツとしか出てこなくて、口からは「あっ…あっ…」みたいなカオナシの声しか出なかったなあ。
希望。前述のように全然話せなかったけど、単語を並べて必死に話せば伝わることもわかりました。飲みに行ったり買い物に連れて行ってくれる友達もできて、店員さんに話しかけられたら会話を楽しんだり。自分の英語の不完全さを自覚している分、意図を汲み取ってくれて伝わった時の嬉しさはひとしおでしたね。
結局、いくら文法や単語を覚えてて、読んで理解できたとしても、それが自分のものになっていないと引っ張り出してこれないんだなと思いました。単語や文法単体で覚えるのではなく、使える例文として覚えてそれを会話で使わないと身につかない。それを痛感しました。
僕の言語学習のモチベーションは、他者との交流と知的好奇心から来るものと自己分析しています。
英語だけでなく、他言語が話せるようになって、世界中のいろんな人と世間話をしてジョークを飛ばせるようになって、お互いの好きなものについて話せたらどんなに楽しいだろう。もっと抵抗なく他言語を読み聞きできるようになって、世界中に溢れる知識を吸収できたらどんなに面白いだろう。
って思うんですよね。
だから本当は英語だけじゃなく他言語も学んでみたいです。まずは英語でコミュニケーションを取れるようにするのが先ですが。
こんな大言壮語を書いておいて実際に行動が伴ってないのが恥ずかしく感じてきました。忙しさを言い訳にきちんと英語勉強できていなかったことを反省します。
絶望と希望に浸っているこのタイミングで、決意新たに勉強し直そうと思います。人に見られる形で宣言しておこう。
ご報告
なおていです。
私事で恐縮ですが、この度なおていは4月1日付で北海道に異動になることに決定したことをお知らせいたします。
皆様の変わらぬご支援をよろしくお願い申し上げます。
約1年ぶりのご報告ブログです。
北海道に帰れることになりました。
いや、希望は出してたけど早すぎん???というのが正直な感想です。
最速今年の9月、現実的なのは来年4月、くらいの気持ちだったので、異動を伝えられた時は嬉しさより驚きが勝ちました。
何はともあれ希望が通ったのは嬉しいですね。環境のしんどさもありましたが、個人的な事情で帰りたかったのもあるので、一歩前進できそうです。
去年6月のご報告ではこんな目標を立てていました。
- 自分がやりたくないこと、自分に向いていないと思うことも、ここから1年は挑戦してみる
- 1年後、全く面白みを見出せない or 辛すぎる仕事だったら、異動もしくは転職を考える
- 何があっても生きていけるように勉強をしておく(資格とかスキルを身につける)
1年で異動になったので、とりあえずはこのまま仕事を続けようという気です。異動先で仕事があまりにもしんどかったらまた考えます。
資格とかスキルの勉強はぼちぼちですね。可処分時間が増えたらもっと邁進したいです。
離れることが決まってから、急に東京という街を去ることに寂しさを感じ始めました。これは愛着とかではなく、東京を満喫しきれていないことに対する焦燥感みたいな物です。
思えば、1年間の内3分の2以上は緊急事態宣言やまん防で、ほとんど飲みに行くこともありませんでしたしライブもほとんど行ってません。ちょっと勿体無いなという感じもあります。まあ贅沢言ってられないね。
ただ、短い期間だったにしても、北海道以外の場所に住んだ経験、東京という大都市で仕事した経験は今後必ず活きてくるのかなと思っています。
北海道に行くのは5月末の予定です。それまで出張などもあり割と忙しく過ごしてますが、関東離れる前に会いたいと言ってくれる人がいれば遠慮なく連絡ください。気合いで予定空けます。
がんばるぞ。
あの夜を覚えてる
なおていです。
桜が満開になったそうですね。運転中に満開の桜が見え、花びらが散って落ちてくるのを見ると春の訪れを実感します。
そんな別れの春、昨日でYOASOBI ANNXが終わってしまいました。
mowmow-teatime.hatenadiary.com
2021年3月30日に初回放送なので、ちょうど一年前ですね。引っ越してきたばかりの新居で、ドキドキしながらRadikoを起動して聞いていた夜を思い出します。
この一年間、希望と不安を抱えた新入社員研修の帰りでも、見知らぬ現場に通ったOJT期間の電車でも、車で現場をハシゴする最近も、いつもYOASOBIの二人の声がそばにありました。
直接的ではなくても、二人が楽しそうに話している様子を聞いているだけで、背中を押されていたのは間違いありません。
最後にAyaseさんが「何の確証もないけど、必ずまたここに戻ってきます!!」と力強く言っているのを聞いて、"ああ、ラジオが嫌いになったわけではないんだな、良かった"と思いました。
また電波に乗せて二人の掛け合いが聞けることを楽しみにしています。
先週日曜日、オールナイトニッポン55周年記念の生配信ドラマ、「あの夜を覚えてる」を観ました。
観る前は「生配信ドラマって何だよ」と思っていましたが、観た後は「これは舞台でありドラマでありラジオである、生である必要がある」という感想になりました。
そして、"ラジオってやっぱりいいものだ"と確信できる、そんな作品でした。
アーカイブが4/3までなので、ラジオが好きな人は是非観てください。後悔はさせません。
感想は別でまとめて書きたいけど書けるかわからない
そして最高のテーマソングがこちら。
この作品を通しで見た後に聴くとこの曲がより輝きます。アーカイブが4/3までなので、"ばかまじめ"にハマった人も見てみてください。後悔はさせません。
やりたくないこともやんなきゃいけないし、嫌々早起きもしなければいけない日々ですが、ばかまじめにやってればいつか良いことがあるはず。
来月からはこの曲が背中を押してくれそうです。
しあわせのお裾分け
なおていです。
ヤクルトを飲むとよく寝られるという情報をTwitterで見たので試し買いしてみました。効果がなかったとしても、乳酸菌飲料大好きなのでモーマンタイ。
先日3月12日、さとりょーさんの結婚式でしたね。当日用事があったり、ビデオメッセージの募集時期に残業祭をしていたりしてほとんど関われていませんが、ぜひ今度会った時に直接おめでとうと伝えられれば嬉しいです。(本人がこの文章を見てるとは思わないけど)
また同日、うんこちゃんこと加藤純一の結婚披露宴の配信があり、一昨日アーカイブで視聴しました。僕はうんこちゃんの存在は知っていましたが、見始めたのは去年の金ネジキからというド新参です。それでもかなり楽しめました。何より幸せな気持ちになれた。
切り抜きとかもあるのでそちらでも。Awesome City Club のAtagoさんとオーイシマサヨシが勿忘をデュエットしたりしてます。
結婚式なんて人生でそうそう見るもんじゃないからね。何より、よく知らん人とよく知らん人の結婚式をここまでのコンテンツに昇華したのがすごいと思います。
国内や国際的な情勢が不安定で、なんとなーく重苦しい雰囲気の今、純粋に幸せを摂取できる場って貴重ですよね。僕はまだあまり結婚式に出席したことがないので、これから友人として呼ばれることを心待ちにしています。(先日ブログ仲間も似たようなこと書いてたな)
また、その翌日3月13日は誕生日でした。お祝いの連絡をくれた方、ありがとうございました。人を祝った翌日に自分も祝福されて、幸せって巡り巡るんだななどと考える週末でした。
おまけ
加藤純一とオーイシマサヨシがやってるピザラジオという番組に、“MOSHIMO”というバンドの岩淵さんがよく出演しています。番組ではオートレースに異常に詳しく、パッションで人狼をやるちょいヤバめな女性として扱われていますが…
このバンド、前身は"CHEESE CAKE "というバンドで、僕が昔よく聞いていたSCHOOL OF LOCKというラジオで名を全国区にした10代バンドでした。
この「寝癖」という曲は、確実に僕の青春に刻まれている曲の一つです。
そんなMOSHIMOが、先述の加藤純一の結婚式のオープニング曲を歌っていました。寝癖とは曲調も内容も全然違うのに、岩淵さんの声を聞いたらどこか懐かしい気持ちが戻ってきて。
ラジオで聴いていた頃から13年、バンド名も変わり、透き通る声の少女は酒とギャンブル好きな破天荒な女性になっていました。でも、失望なんてのは一切なく、むしろ嬉しい気持ちなんですよね。
13年も経てば人は多かれ少なかれ変わるものです。当然ラジオを聞いていた時から自分も変わっているはずです。何より、当時好きだったバンドがまだ活動をしていること、そして偶然の巡り合わせでまた歌を聞くことができたこと。こんな幸運はなかなかないです。
これからもゆるーくMOSHIMOを応援していきたいと思います。岩淵っちゃんの喋り面白いから是非見てみてください。