夢を求めて三千里
なおていです。
小難しい話を書きます。
Twitterでこんなことを言っている友人がいました。
「遠くまで行きたい、遠くがどこなのかは分からないけど、できるだけ遠くまで行って、誰も見たことのないような景色をこの目に焼き付けたい、世界の美しさを人生を通じて証明したい」
この文章の奥底に感じる、えも言われぬ焦燥感、そしてまだ見ぬ世界への期待。めちゃめちゃわかる…という気持ちになりました。
前回のアメリカ出張も、今回の欧州出張も、自分の故郷から見るとだいぶ遠くまで来たように感じます。今まで見たことのない美しい景色を目に焼き付け、文化も言語も異なる人との交流に心を燃やしました。
でも、ここまで遠くにきても、未知の世界への探究心と美しいものが見たいという欲望は消えませんでした。もうこれは一種の病気みたいなものでしょう。この気持ちに折り合いがつく時が若さの終わりなのかな、と見ています。
前述の友人はきっと僕なんかよりもずっと遠い遠いところに行って、誰も見たことのない景色を見て、走り続けるのでしょう。ずっと走り続けるのか、途中で折り合いがつくのかはわかりませんが、その道のりに幸多きことを祈ります。
月並みな表現ですが、僕は「百聞は一見に如かず」という言葉を信じています。何事も、自分の目で見て体験しないと血肉にはならないというスタンス、過激な言い方をすれば、自分の実体験以外は全てフェイクくらいの気持ちで生きています。
コロナで移動が制限され、オンラインという仮想空間での情報のやり取りに強制的にシフトしたこの2年間。
もちろんオンラインで成り立つ仕事も、たくさんあることが炙り出されました。しかし、個人の経験という観点から見ると、やはり実体験に優るものはないと僕は感じました。
その場の気温や湿度、音の広がり、相手の表情やボディランゲージ。工学的に言えば、実世界の情報量が大きすぎて、今の技術で模倣するにはリソースが足りなさすぎるのでしょう。逆に言えば、これらの情報をオンラインで全て伝えられるようになったとき、それは「実体験」といって差し支えないものになるはずです。それが、流行りのメタバースが実現した世界なのでしょうか。
なんてことをつらつら考えています。
僕が生きている間にそんな世界が実現してほしいな。それまでは、リアルな体験に縋り続ける所存です。