ゆく年くる年そんな年
なおていです。
日本酒を飲みながら紅白を見ています。寂しいけどガキ使がない年末を受け入れつつあるね。
大晦日なので、今年も一年の振り返りをしたいと思います。今年の出来事は今年のうちに形にしよう。
今年の頭に立てた目標はこんな感じ。
・自分の気持ちに正直に生きる
・目の前の状況に全力で挑戦する
・「残りの人生で今が1番若い」を合言葉に、自分の身になる体験に惜しみなく投資する
でした。
1月から3月はメンタルやられつつ、関東で頑張って働いてました。年始に立てた目標通り、自分の気持ちに正直になって上司に強めに希望を伝えてましたね。本気で辞めた後のことを考えてました。
この辺から出張がちょくちょく入るようになりました。愛知行ったり長野行ったり。凧揚げして遊んだね。
3月。まさかの札幌への転勤辞令。めちゃめちゃ嬉しかったけど文句言いはじめてから早すぎて困惑してました。もちろんめっちゃ嬉しかったけど。
5月。初の海外出張でアメリカへ。全部新しい体験に心躍らせながら、自分の英語のできなさに打ちのめされてました。浴びるようにビールを飲み、テキーラ二杯ショット飲んで翌日死ぬという大学生みたいなことしてました。
6月。引っ越しやらなんやら。一緒に暮らし始めたりしました。北大祭にも行った。
7月。次はドイツへ。初めてのヨーロッパ。目に映る全ての景色が新しかった。そしてアメリカよりは英語わかったけど不完全燃焼だった。
8月9月10月。ライジングに行ったり層雲峡に行ったり沖縄に行った。楽しかったね。
11月。またヨーロッパへ。海外行きすぎやん?今回は自分から積極的に同僚に話しかけ、友達を作りに行きました。おかげで楽しい時間を過ごせたし何より自信になった。特に仲良くなったフランス人とは今でもチャットしてポケモンしてます。
12月。ぬるっと終わりました。
今年のことは今年にまとめようとブログやらインスタとか更新してます。今。
目標の振り返り。
・自分の気持ちに正直に生きる
やっぱり思ったことはきちんと意思表示したほうがいいね。
送り出してくれた上司からは、「いつか来るチャンスを掴むために、今から行動して今から意思表示するのが大切なんだ。今回の異動はラッキーだったけど、それは君が意思表示していて、かつ向こうに必要とされていたから。だからそこは誇っていいよ」との金言を頂きました。きちんと実力をつけて、その裏付けを持って大口叩いていきたい、そんな自分の中の指針になりました。
・目の前の状況に全力で挑戦する
年始に目標立てた時は、今置かれている困難な状況に立ち向かうという意味でしたが、異動で状況が変わりそんなに逆境に置かれている感がなくなってしまいました。なのであんまり達成できなかったかな。ただ、海外に行くという新しい挑戦があり、その中で日々全力では取り組めました。本当に生きてるだけで必死だった。
・「残りの人生で今が1番若い」を合言葉に、自分の身になる体験に惜しみなく投資する
今年間違いなく一番達成した目標です。ずーっと心の中で唱えてた。迷った理由が金額ならやる、時間の浪費ならやらない。非常にシンプルな羅針盤として僕を引っ張ってくれました。たくさん一生物の経験をしたし、たくさん遊んだし、そこそこに勉強しました。
全体として振り返るなら80点くらいあげてもいいかな。
さて、こんな長い文章を読んでくれたあなたへ。有難うございます。
一緒に遊んでくれたあなた。ほんとに楽しかったです。来年以降もずっと遊んでください。約束です。
一緒に遊ぶ機会がなかったあなた。来年以降必ずチャンスはあります。僕も自分から行くので気が向いたら誘ってください。とても嬉しいです。
ブログやTwitterを見てくれているあなた。いつもありがとうございます。人に読まれていない気持ちで書いてますが、誰かに届いているととても嬉しいのも事実です。今後ともよろしくお願いします。
今年も大変お世話になりました。昔からの友人の繋がりの大切さを噛み締める日々です。
来年も是非ともよろしくお願い致します。
良いお年を。
ゆらめく火を
なおていです。
また小難しい話です。
先日、音楽の都ウィーンでオペラを見ました。
人生初のオペラでした。
歌はドイツ語、ステージに上に英語のセリフ字幕が流れるのみ。1番後ろの立ち見席で3時間ぶっ通しでしたが、自分でも驚くほどに世界に入り込みました。
そして劇中、ふと「今この場所で、この娯楽を楽しめているのはなんて幸せなことなんだろう」と思いました。
幸運にもヨーロッパに行く機会を掴んだこと、異国で初体験のオペラに行く度胸があったこと、100%ではなくとも劇が楽しめる程度に英語が出来たこと、そして良い芸術に触れて良いと思える心を持っていること。
もちろん全て1人で手に入れたものではありません。しかし、自分の積み上げてきたものであるという矜持もあります。
偶然と必然が重なった上で感じられる喜びであることを噛み締めながら、美しい音楽と華やかな表現に浸っていたのを覚えています。
「現状維持は衰退である」
僕が大学1年の時、3年のサークルの先輩の言葉として聞きました。今ソースを調べてみたら、松下幸之助やらウォルトディズニーやらいろんな人の言葉と出てきて、先輩も受け売りだったのかなぁとか思いましたが。
話が逸れました。思い返すと僕は、この言葉を胸に留めながら、命を燃やし、命を削りながら、ここでは無いどこかへ、前へ前へ進もうと必死でした。満ち足りない何かを埋めるように、それはどこか強迫観念じみたものでもありました。
ウィーンからの帰りの電車の中で、ふと、すこし満たされている自分に気づきました。自分の心の中に、消えそうになりながら暴力的に輝く炎ではなく、穏やかで安定した炎を見ました。
こんな気持ちになったのは記憶にないくらい久しぶりで、困惑した記憶があります。
きっかけは今回の出来事なのか、それとも、札幌に戻ってきて生活が変わったことなのか、僕にはわかりません。それでも、あまり認めたくないですが、少し大人になってしまったのかもしれませんね。
そんなかんじです。
推すということ
なおていです。
これは昨年8月、Perfume Live 2021 [polygon wave]に参戦した後、クソデカ感情を込めて下書きを書いた後、世に出す踏ん切りがつかず下書きに保存していた文章に加筆、修正をしたものです。
以下昔の語り。
Twitterで散々言っているので周知のことかと思いますが、僕はPerfumeのファンです。
思い返すとPerfumeとの出会いは14年前、僕がまだ小学生だった頃に遡ります。
初めて個人用の音楽プレーヤーとして、中古のウォークマンを買ってもらい、とりあえず初期データとして父が持っていたCDのデータを入れてもらいました。
その中に、Perfumeのメジャー1stアルバム、”GAME”が入っていました。
初めてぶっ刺さった曲は、一世を風靡した”ポリリズム”ではなく、”シークレットシークレット”という曲でした。
確か当時のピノのCM曲だったかな。
それからウォークマンでラジオを聴くようになり、時々話題に出すSCHOOL OF LOCKという番組に出会いました。
その番組ではPerfumeは研究員という設定でパーソナリティをしていました。同じウォークマンで聴いているのにアルバム曲の機械的なカッコよさとは対極な、ほのぼのした3人の掛け合いのギャップにやられた記憶があります。
話を戻すと、先日Perfumeのライブに行ってきました。
コロナによる制限直前、2020年2月25日に東京ドームで行われたライブ以来、約1年半ぶりの開催。
就活生だった僕は、就活の合間で東京ドームのライブに行っていました。その当時の僕は、まさか次のライブまで一年半もかかるとは夢にも思っていませんでした。
なんだかんだ冬までには落ち着いて、来年のライジングには行けるだろうと。
8月になった時点で、コロナの勢いは収まる気配を見せず、ライブ、フェスは軒並み中止になっていました。
チケットを持っていた僕は内心、”これは中止になるんじゃないか?”と思っていました。
でも運営が下した決断は、”最大限の対策をして開催する”でした。具体的には、全国ドームツアーをするアーティストが5000人規模の箱で、しかもアリーナ席無し。
観客は全員マスク着用、発声NG、声を上げるところは拍手で。公演中も頻繁に冷たい空気を入れて換気。
確実に今までのライブとは違う、新しいスタイルのライブがそこにはありました。
ライブ中に彼女らは言いました。「今までのライブとの違和感があるかもしれない。でも、これから私たちが、新しいライブの形を作っていくんだ」
セットリストも、今までのアルバムから最低一曲ずつ、ほとんどライブでやったことがないような曲も入ってました。
冷静に考えて、僕が小学生の時のアルバムの曲を、今ライブでやってくれるのって奇跡だと思うんです。他のアーティストではあんまり聞いたことありません。
そしてライブの最後、まだ名前も付いていない新曲の中で、こう歌っていました。
ボクはただ 廻る鏡 キミこそが光
全てを照らす 音を鳴らす ほんとは震えても
大丈夫 大丈夫って言ってくれるキミの
声が背中押して 今日だって ステージに立つの
ステージに立つ3人は、まさにミラーボールのように輝いていました。でもそれは自ら放つ光ではなく、ここにいるあなたの光を受けて輝いているんだよ、と歌う姿はもはや神々しさすらありました。
僕は、今回のライブが終わった後、「Perfumeがステージに立ち続ける限り応援するし、何らかの理由でステージを降りたとしても応援するだろうな」と半ば確信に近い気持ちを持ちました。
コロナで世の中は一気に変わり、リモート化、バーチャル化が進み、オンラインライブなども普及しました。その中で、1番応援しているアーティストが「現実での体験」にこだわり、新しい形を作っていくと言っている。
それならばファンとして出来るのは、3人が輝き続けられるように応援し続けることだけかなと思いました。
推すということを深く考えた1日でした。
以上ここまで昔の語り。
コロナ禍が薄れつつある今読み返すと、一年半前の閉塞感が甦りながらも、このライブはそこに見た一筋の光だったんだなと感じます。
そんなPerfume Live 2021 [polygon wave]は、12/24に円盤が出ました。
しかもなぜかAmazon Primeでまだ配信してます。太っ腹すぎん?
まだ見てない人は全人類見てください。そしてハマったら連絡ください。一緒に推しましょう。
年の瀬がけっぷち
なおていです。
実家では帆立をよく貰います。昔はあさり、しじみに並ぶ弱貝だと思ってた。まじで。
お久しぶりです。お久しぶりすぎたかもしれません。前の投稿4ヶ月前で震えてます。でも戻ってきたことが偉い。褒めてほしい。
書いてない期間にいろんな友人と会ったのですが、ちょくちょくブログの話が出て、その度に「書かないとなぁ…」とは思ってました。一緒にブログ始めた友人たちはまだしも、久々に会った人に「ブログ読んでるよ〜」って言われるとびっくりしちゃいますね。誰に向けて書いてる意識もないので…
気づいたら年末ですわ。今は実家でぬくぬくしてます。この4ヶ月で書き溜めた下書きは20以上あるんですが、形にして出せずに溜まっています。
ブログ始めた時にこんなことを書いてました。
Twitterは割とお気持ち表明をしやすい媒体だとは思うんですが、それでも人に見られることを意識しすぎてしまうんですよね。
そんなTwitterという紙切れすら埋められない僕に、ブログというクソデカ白紙キャンパスを渡されても正直困っちゃいます。
でも、いい機会だからキャンパスいっぱいにでっかい絵を描く練習がしたい。
"鍵垢からわざわざブログのリンク踏んで見に来る人なんておらんやろ"と思い込むことで呪いを祓いたいです。
上述のように、人の目を気にせず書くというのはそこそこに上手くやれてます。
予想外だったのが、自分の書いた文章に愛着が出てきて、「よりよい形で残したい」と思うようになったことですね。思ったことをつらつら書いた後、何度か推敲して出す、と言ったスタイルでやっていたら、推敲する時間が無くなったらブログがパタリと途絶えました。
つらつらと書いて出すのは苦手なのでしょうがないんですがね…。
というわけで年末年始。
言葉のたまごたちにお化粧して形にしたいな。暇だったら読んでね。
俺たちの夏はフェスにあった
なおていです。
ここ2日の夏の日差しで日焼けしました。
RISING SUN ROCK FESTIVAL 、略してラサロの話です。
フェスへの想いは以前の記事でも語ってます。
俺たちの夏はフェスにある - 丑三つティータイムmowmow-teatime.hatenadiary.com
RSR2022、久しぶりですがやはり最高でした。
友人の記事が秀逸だったので、それを紹介して僕は個々のアーティストじゃなく全体について書こうかと思います。
RSR2022完走感想日記 - さーもんのゲーム与太話aburisalmon.hatenablog.com
以前フェスの魅力は「新しいものとの出会い」と書きましたが、今回感じたのは「生きていることの実感」ですね。
2.5日間、最終日の夜明けまでほぼノンストップでライブ聴いて、だだっ広い会場を歩いて、1日目後半から体力はずっと限界です。それでも、好きな音楽を浴びて、美味しいご飯を外で食べて、綺麗な空を眺めながらビールを飲む。その度に、自分が生きているという実感を得られるような気がしました。きっと皆それに取り憑かれるんだろうな。
そして改めて感じたのは持つべきは友ということですね。みんなで設営して、みんなでライブ見て、みんなで撤収して。人の優しさをすごく感じました。みんなありがとう。
キャンプして、スイカ割りして、花火見て、外でビール飲んで。夏の詰め合わせでした。
俺たちの夏はフェスにあった。
ドイチュランド・キロク
なおていです。
1番好きな肉は鶏肉ですが、「ビーフオアチキン?」と聞かれたら「ビーフ!」と答えてしまう。牛肉食べる機会なんてなかなかないからね。
仕事でドイツに行っていました。人生初めてのヨーロッパです。
大学院を卒業するタイミングでヨーロッパに渡航する計画を立てていて、コツコツ貯金して準備していたのですが、結局コロナで実現しなかったんですよね。それが今仕事ですが実現して、なんとも感慨深い気持ちです。
平日はみっちり研修してたので、休みの時に出かけた写真をいくつか貼ろうと思います。
なんと言っても街並みが綺麗でした。人が少ないところに行くとおとぎ話の世界に迷い込んだような錯覚を覚えます。
ヨルシカのジャケットみたいな街。
教会なんかは、日本では絶対に見られない意匠で壮観でしたね。ステンドグラスは息を呑む美しさでした。
ビールとソーセージ!優勝!
シュニッツェル!美味しい!優勝!
以下、自分が思ったこと備忘録
・日が長い!!!!日没が21時30分、夜明けが5時前。日本の16時くらいの明るさなのに時計見ると20時前とかで脳がバグってました。
・やはり第二外国語として英語を話しているので、ネイティブよりは聴きやすかったですね。ほとんど全ての場所で英語が通じるのでそれほど生活には困りませんでした。逆に時々ドイツ語表記しか無かったりドイツ語しか話せない人がいると終焉しましたが……Google翻訳様々でした。
・食べ物の味付けが塩辛い or 酸っぱいの2択でした。肉料理のメインと、ザワークラフトやサワークリームの付け合わせ、ついでにマッシュポテト。基本はこんな感じ。人によって好みが分かれるかと思います。僕は酸味系の味付けがあまりヒットしませんでしたね。
・環境意識の高さを感じました。街中の至る所にゴミ箱があり、ペットボトルと瓶はスーパーに持ち込むと換金してもらえる。街中にはレンタル自転車のノリで使える電動スクーターが溢れてました。逆に意外だったのは喫煙者が多く、街のゴミ箱のほとんどが灰皿を兼ねていたことですね。喫煙者が迫害されてない…!ってなりました。
こんな感じ。次は秋にまた行く予定。
コロナが落ち着いてたら近隣諸国に行けたらいいなと言う気持ちです。
夢を求めて三千里
なおていです。
小難しい話を書きます。
Twitterでこんなことを言っている友人がいました。
「遠くまで行きたい、遠くがどこなのかは分からないけど、できるだけ遠くまで行って、誰も見たことのないような景色をこの目に焼き付けたい、世界の美しさを人生を通じて証明したい」
この文章の奥底に感じる、えも言われぬ焦燥感、そしてまだ見ぬ世界への期待。めちゃめちゃわかる…という気持ちになりました。
前回のアメリカ出張も、今回の欧州出張も、自分の故郷から見るとだいぶ遠くまで来たように感じます。今まで見たことのない美しい景色を目に焼き付け、文化も言語も異なる人との交流に心を燃やしました。
でも、ここまで遠くにきても、未知の世界への探究心と美しいものが見たいという欲望は消えませんでした。もうこれは一種の病気みたいなものでしょう。この気持ちに折り合いがつく時が若さの終わりなのかな、と見ています。
前述の友人はきっと僕なんかよりもずっと遠い遠いところに行って、誰も見たことのない景色を見て、走り続けるのでしょう。ずっと走り続けるのか、途中で折り合いがつくのかはわかりませんが、その道のりに幸多きことを祈ります。
月並みな表現ですが、僕は「百聞は一見に如かず」という言葉を信じています。何事も、自分の目で見て体験しないと血肉にはならないというスタンス、過激な言い方をすれば、自分の実体験以外は全てフェイクくらいの気持ちで生きています。
コロナで移動が制限され、オンラインという仮想空間での情報のやり取りに強制的にシフトしたこの2年間。
もちろんオンラインで成り立つ仕事も、たくさんあることが炙り出されました。しかし、個人の経験という観点から見ると、やはり実体験に優るものはないと僕は感じました。
その場の気温や湿度、音の広がり、相手の表情やボディランゲージ。工学的に言えば、実世界の情報量が大きすぎて、今の技術で模倣するにはリソースが足りなさすぎるのでしょう。逆に言えば、これらの情報をオンラインで全て伝えられるようになったとき、それは「実体験」といって差し支えないものになるはずです。それが、流行りのメタバースが実現した世界なのでしょうか。
なんてことをつらつら考えています。
僕が生きている間にそんな世界が実現してほしいな。それまでは、リアルな体験に縋り続ける所存です。